ラジコンカーの歴史【プロポ編】

1955年に日本の増田屋コーポレーションが世界初のラジコンカーを発売してから60年余り経過しました。その間にRCカーの世界は年々劇的な変化を遂げてきました。

今回はプロポ周波数歴史を振り返ってみましょう。

この記事の目次

ラジコンカー【プロポ】の歴史

ホイラープロポの登場

FP-2F

ホイラープロポが登場するまでは、空用などのスティックプロポをラジコンカーに転用していました。その後フタバ電子工業が発売を開始した『FP-2F』によりホイラープロポというジャンルが誕生しました。

FP-2F は側面にスロットルレバー(アクセル)が付いています。左手で抱え込む格好で操作しますが、PARMA社のスロットカー用ピストルグリップを裏蓋にネジ止めし、現在のスロットルトリガーのような形に改造することが流行っていました。

ただ、弁当箱のように開閉する裏蓋にピストルグリップを付けていたために、操縦に熱中すると [裏蓋が開く→スロットル全開になり操縦不能でクラッシュ] なんていう光景をよく見ました。

EX-1

ラジコンカーのプロポ革命と言えば、近藤科学(KO PROPO)が1980年に発表した『EX-1』です。

それまでの疑似スロットルトリガーでなく、ピストルにハンドルを付けた形のデザインは衝撃的でした。このEX-1は発売されると瞬く間に世界中のラジコンカーフリークが使うようになりました。

KO PROPOを世界ブランドに伸し上げたモデルと言っても過言ではないでしょう。

ラジコンカー 石原直樹

当時の世界的なトップドライバーであった石原直樹氏を広告モデルとして起用していた点もセンセーショナルでした。

EX-1の登場によりラジコンカーのホイラープロポが確立されました。現代の進化したホイラープロポでも基本形はEX-1のデザインであることは驚きです。

またEX-1自体も細かい変更を繰り返しながら、現在でも継続販売していることには感服です。

2.4GHz帯の登場によりバンド待ちや混信トラブルが皆無に

2.4GHz

ラジコンカーのみならず、ラジコン全体の常識を変えた出来事が『2.4GHz帯』の登場です。

現在のラジコンカーファンには信じられないかもしれませんが、初期のラジコンカーで使用できる周波数(バンド)は27MHz・1~6バンドと40MHz・A,Bバンドの計8バンドしかありませんでした。

クリスタル交換ができないプロポが多かったことも相まって、練習走行時には操縦台前にズラっとバンド待ちの列ができることもありました。当然レースでは同バンドが重なることがしばしばで、決勝に残ったけど同バンド使用のライバルにタイム差で負けていたことで、決勝への進出を断念することがよくありました。

その後クリスタルによるバンド変更が可能になったり、法令改正により27MHz・01~12バンド、40MHz・61~75バンドと計20バンドに増えたことで、バンド待ちやレース時の組み合わせが改善されました。

しかしそれでも同じバンド同志の混信トラブルが無くなることはなく、ラジコンカーを楽しむ上で混信が最大の恐怖であったのは事実です。

ところが『2.4GHz帯』の登場により電波トラブルはほぼ解消されてしまいました。以前は○○バンド走行します!と周囲に知らせたり、何バンドが空いてるかな?なんてバンドボードを確認したりしました。

また、レース時などでは自分の出番以外で送信機のスイッチを入れることは厳禁で、RCメカを交換したときには調整することすら困難なものでした。それらの問題は2.4GHz帯の登場により全て解消されました。今ではピットの至る所で送信機のスイッチを入れ、RCメカの調整やエンジン調整をする光景を目にします。

初期の頃の2.4GHz帯プロポでは受信機の熱暴走によるノーコンや、伝達速度の遅延によるレスポンスの悪さが問題視されていましたが、現在ではほぼ解消されています。

また、送信機のアンテナを伸ばす仕草や、受信機の長いアンテナを見ることも少なくなりました。2.4GHz帯プロポの登場により、目に見えず厄介な存在であった電波によるトラブルや煩わしさを、ほぼ解決したと言っても過言ではないでしょう。

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