広坂正美 ~世界で戦った日本のRCカードライバー~

Legend Masami=広坂正美

世界中のラジコンカー愛好者から「Legend Masami」と呼ばれる広坂正美氏。

1984年、新宿のNSビルで開催された第6回JMRCA 1/12電動レーシングカー全日本選手権の予選で事件は起きた。

京都から参戦した少年がトップを快走中、少しばかりインを攻めすぎハーフスピン。

しかし次の瞬間、何事もなかったようにバック走行し次のコーナーに差し掛かったときに姿勢を進行方向に修正。

まったくラップタイムに影響することなくレースを続けたのであった。このことが、後にバック走行禁止ルールを生むことになるのだが。

少年の名は「広坂正美」。この全日本を3位入賞で終えた広坂正美氏が世界の頂点に立つとは、このときに何人が想像したであろうか。

1986年に 1/12電動レーシングカー全日本選手権チャンピオンとなった広坂正美氏。

翌年には1/12電動レーシングカー、1/10電動オフロードカー2WD、1/10電動オフロードカー4WDの電動カーカテゴリー全制覇を成し遂げる。

名実共に日本のトップRCカードライバーの頂点に立った広坂正美氏が、次に目指すのはひとつしかないだろう。

そう、日本人が速く走れるはずがないと一笑されたあの思いを晴らすために。

日本人初のRCカー世界チャンピオン「広坂正美」

1987年イギリス。1/10電動オフロードカーの世界選手権に父親の正明氏ととも出場した広坂正美氏。

4WDクラスでシュマッカー(Schumacher)社からワークスカーのドライブを託された広坂正美氏は、予選レースから快走を続け決勝3ラウンドの合計で見事にトップになり日本人初のRCカー世界チャンピオンになったのである。

その後、世界選手権通算優勝14回、全日本選手権通算優勝52回という輝かしい戦績を残すのであった。

もちろん 世界選手権通算優勝14回は世界最多である(全日本もだが)。

2009年に惜しくも現役を引退した広坂正美氏だが、現在はラジコンイベントでの裏方や商品開発、後進の育成などに携わっている。

中日ドラゴンズの山本昌投手との交流も深く、TV出演やメディアへの露出でラジコンカーの地位向上、発展にも貢献している。

「ほこ×たて」のやらせ告発で見せた正義感の強さや、Legendとは思えないほどの人柄の良さで、未だに世界のラジコンカー愛好者から尊敬される存在である。

 

京都のラジコン少年であった広坂正美氏が世界チャンピオンになれたのは類まれな才能はもちろんのこと、人並み外れた努力の結晶でもあります。そして忘れてはならないのが裏方として支え続けた父、正明氏の存在です。正明氏が世界のラジコンカー界に与えた影響も計り知れないものがあります。
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