日本のRCカードライバー「原篤志」
広坂正美を倒す
彼は幼いときから公言していた。広坂正美選手を倒すと。
2000年、ついにそのときがやってきたのだ。
世界チャンピオン原篤志誕生
2000年谷田部アリーナ。ISTC電動ツーリングカー世界選手権決勝。彼は3番手を走っていた。目の前では広坂正美選手がバトルを繰り広げている。
広坂選手が絡んだ!絡む2台を横目にするりと彼はトップに立ってそのままゴールする。
ISTC 電動ツーリングカー世界チャンピオン原篤志選手が誕生した瞬間だ。
実は広坂選手が出場した世界選手権で、唯一チャンピオンになれなかったカテゴリーがISTC電動ツーリングカーであり、原篤志選手は公言どおり広坂選手を倒して世界チャンピオンになったのだ。
ラジコンカープロドライバー宣言
その後、原篤志選手は在籍していたヨコモを退社し、ラジコンカープロドライバー宣言をする。
それまでの日本人は、ラジコンカー分野ではメーカー関係者であるラジコンカーのプロは存在していた(広坂選手もヨコモの社員ドライバーである)。
しかし純粋にレースで結果を残して報酬を獲得していく「プロドライバー」は存在しておらず、原篤志選手が日本人初ラジコンカープロドライバーになったのだ。
ラジコンカープロドライバーの地位を確立
プロドライバー転向後はアメリカを拠点にプロドライバー活動を続け、その後はタイに拠点を移した原篤志選手。
電動、エンジンを問わずオン、オフロード両分野で活躍する。
しかしながらプロドライバーとしてのプレッシャーは想像を絶するものだったようだ。
「原篤志が成功しなかったら日本人のラジコンカープロドライバーは今後生まれないだろう」そんな噂は彼の耳にも入ったことだろう。
だがそんなプレッシャーを跳ね除け、2008年にはアメリカで行われた1/8エンジンオフロードバギー世界チャンピオンに輝き、2013年には千葉県ケイチューンで行われた1/8エンジンレーシングカー世界選手権で3位入賞を果たす。
IFMARが主催する世界選手権において、1/12電動レーシングカー、ISTC電動ツーリングカー、1/10エンジンツーリングカー、1/8エンジンオフロードバギー、1/8エンジンレーシングカーの5種目でのトップ3入賞経験者は世界で原篤志選手ただ一人の偉業なのだ。
広坂選手の最大のライバルであり、広坂選手が唯一手が届かなかったISTC 電動ツーリングカー世界チャンピオンに輝いた原篤志選手。
そして日本人初のラジコンカープロドライバーの地位を確立した原篤志選手。彼の成し得た偉業はその後に続く選手達の目標やモチベーションになったのである。