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日本のRCカードライバー「高麗淳一」
ほぼ世界チャンピオンを掴みかけていたのに運命の悪戯か。
レース中、常に冷静な彼が操縦台を右拳でガンっ!と殴りつけた。
そんな姿を彼が見せたのは初めてのことだった。
日本人初のRCカー世界チャンピオンを掴みかけた男。
彼の名は高麗淳一。伝説のディズニーランドでの悲劇。
彗星のごとく現れたラジコンカーの天才少年
1983年に1/12電動レーシングカー全日本選手権で、あの石原直樹選手へ真っ向勝負を挑み見事に優勝。
一躍有名RCドライバーとなった高麗淳一(コマ ジュンイチ)選手。
この全日本優勝をきっかけに、名門チーム京商入りを果たすこととなる。
高麗選手の破竹の勢いは増すばかりで、85年の1/12電動レーシングカー全日本選手権も制覇し、この年に彼はRCカーの最高峰である1/8エンジンレーシングカーへ挑戦することになる。
1/8エンジンレーシングカー世界選手権に挑戦
1985年夏にオープンしたばかりの東京ディズニーランド。
この夢の国の駐車場に特設されたサーキットで、第5回IFMAR 1/8エンジンレーシングカー世界選手権が開催された。
日本代表の一員として参加した高麗選手だったが、予選序盤から相次ぐトラブルでまともに予選を走ることができずにいた。
このまま下位で世界選手権を終えてしまうのか。
そんな噂を一笑するかのごとく予選最終レースでトップ10入りのタイムを叩き出す。
続く準決勝も難なく勝ちあがり、決勝に駒を進めた彼の勢いは凄まじいものだった。
1/8エンジンレーシングカー世界選手権の決勝レースに進出
60分の決勝がスタート。
まずレースをリードしたのはサーパントのエース、ロディ・ローム選手。予選トップ通過のロディ選手はスムーズな走りでトップを快走する。
注目の高麗選手はスタートの混乱を避けるためにあえて下位からスタート、その後順調に前車をパスしながら順位を上げていく。
15分経過。ロディ・ロームと彼の背後まで迫っていた高麗選手が同時にピットイン。
素早い助手の給油作業で高麗選手が一足先にコースイン。待望のトップに立つ。
もう誰も高麗選手を止められない。まるで違うカテゴリーで戦ってるような錯覚すら思わせるほどの速さ。
京商FANTOM 20EXP 3P 4WD + OSエンジン + サンワプロポのオール日本製を駆った高麗選手がここ日本で、日本人初のRCカー世界チャンピオンになる。会場のみんながそう思ったに違いない。
そう、35分経過までは・・・
運命の35分
5分間隔の給油のため35分を前に助手が高麗選手にピットインのサインを出す。
この周回を終えたらピットインだ。しかしストレートから続く高速コーナーで悪夢は起きた。
ガス欠だ。
ガンっ!常に冷静な彼が操縦台を右拳で殴りつける。
助手の懸命な復旧作業でレースに復帰するも失った数分は大きい。
必死で飛ばす高麗選手。ほぼ最下位からの追い上げだったが怒涛の勢いでみるみるうちに順位を上げていき、なんと2位まで追い上げたのだ。
しかし無常にも60分の決勝レースは終了し、ロディ・ローム選手が優勝、高麗選手は2位で世界選手権を終えたのであった。
勝負で負けたが速さは世界一を証明した
この決勝レースで高麗選手がガス欠になった原因は、彼が速く走りすぎたために、5分間で今までより1周多く走ってしまったことだった。
世界の頂点を決める決勝レースで起こったこのガス欠は、彼が如何に速かったのかを皮肉にも証明することとなったのだ。
もしガス欠せずにレースを終え、RCカー世界チャンピオンになっていたら彼のRC人生はどうなっていただろうか。
過去は変えられない。だが、そう思わさせるほどの衝撃だった。
そして日本人初のRCカー世界チャンピオンは高麗選手のライバルであった広坂正美選手に託されることとなる。