石原直樹 ~世界で戦った日本のRCカードライバー~

この記事の目次

日本のRCカードライバー「石原直樹」

1979年スイス、ジュネーブにあるロレックス社駐車場で開催された第2回IFMAR 1/8レーシング世界選手権で、日本人として初めてTQ(予選トップ)を獲った選手がいた。

石原直樹

それまで世界における日本のラジコンカーやドライバーは無名に近かった。

しかし石原直樹氏の活躍により日本の地位は一躍し世界トップランクとなったのである。

トドロキモデルのワークスドライバーとしてロードエースで出場した石原氏は、外国人勢にパワーで劣るエンジンを搭載していたにも関わらずその卓越したライン取り、安定したラップタイムで今大会の大本命と言われたアソシエィテッド勢を圧倒して見事にTQを獲得した。

優勝は間違いなくNAOKI ISHIHARAだろう

参加したほとんどの選手は決勝レース前に予想していたようだ。

しかし、そうはさせてたまるかと作戦を練るチームがいた。そう、チームアソシエィテッドだ。

60分の決勝レースは序盤から石原氏が快走しトップを走っていた。だがレース時間の1/3が過ぎたころそれは起こった。

石原氏の車体からマフラーにトラブルが発生したのである。

実はラップ遅れにする際にアソシエィテッド勢に何度も追突され、当時は車体の後方に位置していた缶タイプのマッコイ製マフラーとマニホールドをつなぐジョイントパイプに亀裂が生てしまった。

その結果、排気音が規定オーバーとなり、ピットインせざるをえない状況に追い込まれてしまったのだ。

助手による懸命な復旧修理でレースに復帰した石原氏。

無我夢中でラップを重ねるも60分の決勝レースは終了。激しい追い上げもむなしく5位でレースを終えた。

この大会で石原氏、4位入賞の流石氏、武田氏、近藤氏などなどの日本選手の活躍で日本のラジコンカー、操縦テクニックの素晴らしさを世界に知らしめたのだ。

しかし、日本人の世界チャンピオンが誕生するまでにはこれから8年の歳月が必要なのであった。そう、あの広坂正美氏がやってのけるまで。

その後、石原氏はアソシエィテッド、PB、デルタと渡り歩き、自身のブランドとなるR&Dイシハラを設立。

自ら設計した1/12電動レーシングカーNX-101を駆ってエンジンカー、電動カーの両分野で活躍したのである。

 

当時国内においては無敵を誇っていたのは「トドロキ+石原直樹氏」でしたが世界では未知数でした。しかしこの第2回「IFMAR 1/8レーシング世界選手権」での活躍で日本人が世界レベルの実力があることを証明し、同時に日本製品の優秀さも世界の人が知るきっかけとなりました。
おすすめの記事