ラジコンカー世界選手権に初めて参加した日本人選手

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RCカーの日本人世界チャンピオンを多く輩出するきっかけを作った2人

ラジコンカー界のレジェンド広坂正美氏が、1987年に日本人選手初の世界チャンピオンになってから、2017年までに計10人が世界チャンピオンに輝いています。

日本人選手が初めて世界に認められた世界選手権が、1979年にスイスのジュネーブで開催された第2回1/8レーシングカー世界選手権です。

この大会では石原直樹氏が、日本人選手初のTQ(予選1位)を獲得して、決勝ではAATを駆る流石富士雄氏が4位・石原直樹氏が5位に入賞しています。

その後1985年に東京ディズニーランド特設サーキットで開催された、第5回1/8レーシングカー世界選手権で高麗淳一氏が、伝説の2位入賞を果たしたのち、1987年の日本人選手初世界チャンピオン広坂正美氏誕生に繋がっていきます。

しかしこれら日本人選手が世界で活躍する前に、世界選手権の門戸を叩いた2人の選手のことはあまり知られていないようです。

RCカー世界選手権での日本人選手の活躍はこの2人から始まった

日本人が初めて参加したラジコンカー世界選手権は、1977年にアメリカのカリフォルニアで開催された第1回1/8レーシングカー世界選手権です。

この大会には、現在のヨコモ(当時の横堀模型)社長である横堀智昭氏から参加の誘いを受けた、静岡県出身の滝雄次氏(故人)と望月庄一氏が出場しています。

※第1回1/8レーシングカー世界選手権優勝者のブッチ・クローウェル氏はヨコモ社長の妹と結婚し、その後のヨコモの発展に大きく関係しています。

当時の日本のラジコンカーサーキットは特設が主であり、オーバルなどの簡単なレイアウトがほとんどでした。

しかし滝氏と望月氏が世界選手権で得た教訓により、日本にも常設サーキットが誕生し始めて同時にレイアウトもテクニカルなものに変化していきました。

この大会の話を聞いたタミヤの滝博士こと滝文人氏、が旧タミヤサーキットのレイアウトを立案して、RCカーの聖地である現タミヤサーキットの礎を築いています。

現在のRCカーの駆動方式を考案した滝雄次氏

現在のラジコンカーで多く用いられているフロントワンウェイ方式の4輪駆動システムを考案したのが滝雄次氏です。

もしこのフロントワンウェイ方式が考案されなかったら、現在のラジコンカーの発展はありえなかったと断言できるほどの大発明です。

現在の日本製RCカーや、プロポ、日本人選手が世界最高水準にあることは、ラジコンカーマニアなら誰もが知るところです。

そのきっかけを作った2人の日本人選手がいたことを知っておいてください。

 

当時は現在のように情報網が発達していなかったので、世界選手権に参加すること自体が極めて難しい時代だったようです。いま世界最高水準のラジコンカーで遊ぶことができるのも、これら先人の苦労あってのものと感謝しなければなりませんね。
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